今日は何個か、本題に入る前に報告したいことがある。本題は一番↓↓↓にあるから、お見逃しなく
最初に、僕の母が日本で全く車の運転をしたことがないにもかかわらず、コロラドスプリングスの運転免許試験場で一発合格してしまった!これにはさすがに僕もちょっと驚いた。でも、父と一緒に結構運転の練習していたらしい。「おめでとう!」と言いたい。
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本題はこの↓↓↓。
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さて、今日の本題は”アメリカ大学への留学経路・その2”だ。
僕の留学経路はこんな感じである。
高校卒業
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日本にある、アメリカの大学へ入学
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このアメリカの大学のアメリカ本校へ留学(1セメだけ)
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南コロラド大学へトランスファー(2セメだけ)
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コロラド大学ボウルダー校へトランスファー(学士号終了)
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就職、コロラド大学ボウルダー校大学院入学
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近くの大学で教授として教え始める。
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就職、コロラド大学ボウルダー校大学院卒業
どうであろうか?
この間に子供も二人生まれた。一時期は3つ仕事を掛け持ちしていた。
はっきり言って、忙しすぎるほど忙しかった。あはは。。。
ところで、留学しようとしている人が気になるのはやはりトランスファーが多かったことだろう。
もちろん、トランスファーを数回したのは理由がある。(これ、話し始めると長くなると思うが、数回に分けてでも言ってみようと思う。とても大事なので。)
最初は、「どうしてアメリカの大学の本校へ1セメしか来なかったのか。」であろう。
これはとても簡単である。
「日本人が多すぎた!」のである。
ドーム(宿舎)にも日本人のルームメート3人と住んでいた。
言うまでもないが、僕はとても真剣に英語を習おうとしていた。 そのため、日本人が多いのは僕にとっては不都合であった。
島国根性は捨てた。できるだけその学校のほかの国からの生徒と話すようにした。もちろん、日本語をすべて捨てられる環境ではなかったが。。。
日本で在学中にこの事実は知っていた。そのため、日本にいた時から南コロラド大学へ行くことを決めていた。
南コロラド大学へのアプリなど、すべての手続きはすべて自分で日本からやった。Eメールやインターネットなどまだほとんど日本では普及していなかった時代だ。そのため、すべて手紙で連絡を取り(これは時間かかった)、最初はアプリの取り寄せからやった。
TOEFLの試験も3回ほど受けた。一回目でそのときのTOEFL採点方で500点を超えた。
そのときは500点が一種の留学基準点であった。
3回目でTOEFL550点を超えた。それからTOEFLは受けなかった。試験代のお金がかかるし、そして、僕は必要最低限の努力しかしないからだ。 それ以上努力していれば多分、アメリカの超一流大学に入れたかもしれない
まあ、そんな冗談はどうでもいいのだが、重要なのは「自分ですべて手続きをやり、日本にいる時点でコロラド州、ワシントン州、そしてカリフォルニア州にある大学3校から合格通知をもらった。」ということだ。
そして、コロラド州にある南コロラド大学に入学することに決めた。
では、なぜ南コロラド大学でなければいけなかったのか? これは明日にしよう。